ダークサイド of iPhone 3G

 iPodやiPhone 3Gは資本主義社会の中の理想的な(メーカーにとって都合のいい)消費者を作り上げようとしている。これらはいかにもスマートなライフスタイルをしているように見せる工夫に溢れている。というよりは、そう仕掛けられていると言ったほうがいいかな。
 いづれもデジタル技術によってユーザーに「便利さ」を与える事で、それが「スマートなこと」なのだと意識させる事に成功した。「便利さ」=「スマート」という発想がそもそも幼稚なんですが、意外に気づかれていないんですね。
 「便利さ」というキーワードで文明は進化し、いまそれによって地球が崩壊しようとしている事をみんなすっかり忘れてしまっている。それは「デジタル」というカモフラージュゆえなんですね。
 iPodによって音楽が身近になったように言われているが、実は音楽が消耗品になっただけなんですね。レコードをジャケットから取り出して注意深く針を落とし、ライナーノーツを見ながら音を聴く。音楽だけに集中する時間をアナログの時代は用意してくれた。
 逆に歩きながら音楽に没頭することはないだろうし、逆に没頭されたら回りの人には全く迷惑極まりないことになってしまう。
 さてiPhone 3Gはどうなんだろう。さらに便利にはなるが「便利さを享受」出来たからと言って、その便利さから何かをつかむ時には現実に立ち戻る必要があるのです。iPhone 3Gで見る映画は映画館で見る映画から得られる感動の何%の感動を得られるんだろうと懸念してしまう。
 オモチャとしてのiPhone 3Gには大いに興味があるけれどオモチャはオモチャだ。インターネットでは例えばGoogleEarthで世界中を見ることは出来るが「街の匂い」を感じることは絶対に出来ない。人のやさしさを実感することも出来ない。
 賢い消費者などというのはあり得ないだろう。消費文明に背を向ける事こそが、これからの世界を正しい方向に導くだろう。「スマートなライフスタイル」というのは「消費しないこと」であり「体を動かすこと」だと意識したいものだ。

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