映画「ソーシャルネットワーク」を見て思うこと

ハーバードの天才コンピューターおタクが「facebook」を作るまでのストーリーだが、こんな話はIT業界ではごくごく普通にあることだ。何故こんなに話題になっているのかが不思議なくらいだ。もっともそれくらいコンピュータの世界はおタクな業界で一般の人々とはかい離しているからこそ新鮮に映ったのかな?

facebookそのものが進行形の中、伝記のように映画になってしまうこのスピード感が今っぽいと言えば今っぽい。この映画からいくつか気づいた点を書いてみよう。

「日本では本当のベンチャーは育たない」
 そもそもアメリカという国がフロンティア(開拓者)によって作られた国である。そのためアメリカのヴェンチャーキャピタルは新世代のフロンティアに対しても寛大であり、ゴールドラッシュの匂いがあれば資金はいくらでも調達できる。これは日本では起こりえない。新しいWEBサービスの仕組みがほとんどアメリカに集中している事でも分かるだろう。
 
「プログラマーは成功を予感してプログラムを書くわけではない」
YoutubeもGoogleから飛び出した数人が始めたものだ。自分にとって面白そうな仕組みを試しているだけのものが独り歩きしてマンモス化していくのだ。こうした試みは数百万、数千万と毎日のように試みられているが、その中のたまたま一つがこうした現象を起こすのだ。成功したからといって、それを作ったプログラマがより優れているという証ではない。
時代の流れの中のタイミングなども大きく影響している。

「マーク・ザッカーバーグはCOOLか?」
 主人公のマーク・ザッカーバーグは映画の中では決してヒーローにはなっていない。ふられた彼女に対してfacebookから「友達に招待する」をクリック。何度もリロードボタンを押して返事を待ちながらエンドロールが流れる。
 自分のブログに「売女」と書いてしまった相手が再び友達になるはずがない事を知りながら、限りなくわずかな可能性に期待をする愚かな男の姿を見せながら終わるあたりに時価総額150億ドルといわれるfacebookの価値とストーカーまがいの情けないマーク・ザッカーバーグの人間としての価値が対比されている。
 
マーク・ザッカーバーグが、あの映画の中の人物のようだったら友達にはなりたくないですね。
COOLでも何でもない、ユーモアもウィットもないただのおタクだから。

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